2025-04-01 パラドックス
エイプリールフールの文化については明るくないので、嘘を吐いても良い日なのか、嘘を吐かねばならない日なのか判断がつかない、多分前者だろう。しかし、日頃から許容される嘘というものもあるのではないだろうか。実際、冗談で嘘を吐くことすらできないほど堅苦しい世界だとは思えない、となれば日頃許容されない類の嘘が許容される日でなければエイプリールフールは意味を成さない。日頃許容されない嘘というと、他人に何らかの不利益を被らせるものだろう。しかし、そんなものエイプリルフールに限らずともいくらでも出回っているし、エイプリルフールだからといって詐欺罪で捕まらないようなことはない。
つまり、嘘を吐いても良い日という定義は曖昧でそれ自体が嘘になりかねない、そんな曖昧さを許容して嘘のチキンレースをするのがエイプリールフールのあるべき楽しみ方なのではないか。であれば嘘をついても良いというよりは、嘘を吐かねばならない日とした方がより正確な気がしてくる。これは実に驚くべき結論である。この日は万人が嘘吐きである必要性が発生した、つまり「この日私/貴方は嘘吐きである」という主張は正と認められねばならないが、万人が嘘吐きなのだからパラドックスだ!Happy Paradox Day!みんなで「Hearts of Iron」を楽しむ日にするとしよう。
とはならないが別に残念でもない。それはさておき、常時嘘を吐くのが嘘吐きのパラドックスの仮定する嘘吐きであるが、嘘は正しい情報の中に紛れ込まねば意味がないのだから、仮定されたのは嘘吐きというより左巻きである。気狂いの私ですら、1%ぐらいは真実を語ることもある。つまり、嘘吐きのパラドックスは何を仮定しているのだろうか、そもそもこの記事は何を述べようとしているのか、嘘を吐きたかっただけなのに収拾がつかなくなったので最後に義務に従い投げやりな模範的嘘を述べて無理矢理締めることにしよう。
私は正直者です