2025-03-27 本邦における結婚式

度々ネタにしている男から「3時間の拘束により得られる対価」の題で唐突に送りつけられた画像である。5W1Hの不足に苛立ちながら画像検索すると「ホテルニューオータニ」のウェディングプランが候補に出てくる。可能性は二つだろう、自身の式場を探しているか、誰かの結婚式に参加しているか。吝嗇家が3万円ではなくて、3時間の拘束を前面に出している以上、前者だと当たりをつけて尋ねると「ご名答」とのことである。
曰く「結婚式をやるより招待予定者全員と別々にレストランに行って1万5千円のコースを奢ってお土産を持たせた方がお得なことに気付きました」とのことではあるが、文句言いつつも結局やるつもりなのだろう、3時間の拘束に対する愚痴もとどのつまり幸せ自慢である。他にも色々と浮かれたメッセージを連投してきて腹が立つので、現代日本の結婚文化にケチをつけてやろう。
日本においては、伝統的に結婚式は宗教とは結びつかず簡素なものであった。古代に至っては結婚と恋愛の区別がつかないので、式自体が必要とされていなかったとか。今の結婚式の母体が生まれたのは、鎌倉中期頃のようだ。その頃の結婚は「家」の結合として捉えられていたようで、宗教色もなく式としても簡素であったようだ。江戸期に式の文化は多少進化したが、鎌倉時代と大差はない。
そんな訳で、神前式というと由緒正しそうだが、明治期に西欧の結婚文化を真似して開発したものである。しかし、模倣元のはずの「教会式」も本邦においてはこれまた模倣品である。実際の教会で開催することは稀で、主戦場は「チャペル」である、要はちょっと洒落乙な洋館であればなんでも良い。おまけに神父の格好をしたバイト外国人を配置して執り行うのだから、とんだおままごともあったものだ。
いつの時代も庶民は上流階級の真似事をしたがるものだが、晴れの式は張り切ってみるには丁度良い機会だ。結婚式が派手になったのは高度経済成長の活況が大きいが、1959年の平成天皇(当時皇太子)の結婚パレードも一つのロールモデルになったことだろう。それが大きな話題になり結婚ブームが巻き起こったのも事実である。次第に派手も極まり、ゴンドラや馬に乗って登場だのとんでもないサービスが誕生したようだが、最早単なる乱痴気騒ぎである。
そんなこんなで、伝統の傘もなく、同調圧力、虚栄心に突き動かされはしゃぐ様はなんとも滑稽に見えてしまう。しかし、「花嫁はなぜ顔を隠すのか」[2]において、結婚文化には「変身」を強調する側面があると指摘されていたような記憶がある。見るに堪えない振る舞いも、個人から家庭人への変身の一表現と理解してやるのも、文明人としての仕草なのかもしれない。
結論、私を差し置いて浮かれるな!

参考文献

1:冠婚葬祭の歴史 (ISBN13: 978-4880653501)
2:花嫁はなぜ顔を隠すのか (ISBN13: 978-4903487366)