2025-02-07 書評「白鯨」

どこぞの高級コーヒーは、ジャコウ猫のうんちから取られるそうだが、セレブリブリティうんち界隈では特別な存在ではない。実は高級うんちは世に満ち溢れていたりするのだが、由緒正しい、高貴で、高価なうんちといえば、やはり「龍涎香」だろう。格好いいのか悪いのかよくわからない名前がついているが、実態はマッコウクジラの腸内に発生する結石、端的にいえばうんちである。歴史上多くのやんごとなき方々が、嗅いだり、塗りたくったり、飲んだりと楽しんできたようだ。そんなうんちパーティー、ご相伴にあずかってみたいものである。
マッコウクジラ、そしてうんち...くといえば、メルヴィルの「白鯨」である。ということで触るもの全てを低俗にするミダス王(自称)による書評の開催をここに宣言する。雑にあらすじを述べると、巨大マッコウクジラ「モビィ・ディック」に片足を奪われ、復讐に取り憑かれた船長エイハブの指揮する捕鯨船で繰り広げられる海の男達の日常譚である、一昔前に流行していた日常系作品の系譜だろう。
「Moby Dick」「Captain Ahab」等々の単語は広く知られているが、この本を気に入った、それ以前に読んだという人に会ったことがない、思えばこの本を話題にしたことすらないかもしれないが、そもそも人と書について会話を交わしたことがあったか、むしろ店員に挨拶される以上に人と接したことがあったか...今や白鯨由来で一番有名な言葉は「Starbucks Coffee」だろう、登場人物「Starbuck」に由来するとか。
「白鯨」は特異な本として記憶に強く残っている。その文章は尋常では無い。当初語り部であった人物は、途中から前触れもなく消失し、視点は船内を自由に飛び回り、各人物の物語がはじまる。かと思えば、物語から唐突に脱線し、度重なる衒学的な捕鯨知識の挿話に次ぐ挿話、うんち...くの投げたい放題、やり放題である。しかし、それほどの無軌道にも関わらず、なんという力強さか、妙に引き込まれる。うんち造りのバベルの塔と評されたことがない程度には言葉が支離滅裂...逸れがちな凡夫たる私にはとてもではないが真似できる文章ではない、メルヴィルの驚くべき剛腕である、名著の名著たる所以をまざまざと見せつけられる。
マッコウクジラというのは、英語では「Sperm Whale」つまり、精液鯨と非常にいかがわしい名前になっているが、頭部を開くと白濁液が漏れ出てくるのが由来らしい。その液体は残念ながら精液ではない、捕鯨の主目的であった鯨油である。頭を金玉扱いされた上に、その中身を目的に絶滅寸前まで追い込まれるなど、なんて数奇で気の毒な種であろうか。お洒落喫茶も環境問題を訴えるなら「精液海獣記念喫茶店」と改名すべきではなどと思いつつ、コーヒーは今日も苦い。苦いのはよくないので正直者は牛乳と砂糖を入れよう、脂質と糖分は全てを救うと週に7日目の休息を取ったところで気になるのは、なぜ白濁液を乳と捉えなかったかである。
さて、白鯨の異常な力強さに毒された後、しばらくは「レヴィヤタン」の語が脳裏を渦巻くだろう、少なくとも私はそうだった。渦巻くレヴィヤタンを鎮めるため、科学博物館へ行って骨格標本を眺めると、これほどの怪物がこの世界にいるのかとえも言われぬ感動を覚えたものである。何はともあれ、そんなことを思い出していると、スタッブの晩餐会を思い出し鯨肉のステーキが食べてみたくなってきた。